堀くん
第2回往路を読みました。
鶴見俊介曰く、
「歴史を考えるときには、「回想の次元」からだけでなく、「期待の次元」からも見ることが大切だと思っている」
とのこと、つまり、歴史を考えるときには、ある種のポイティブさをもって臨むことが必要ということでしょうか。
期待というのは未来(これから起こる歴史)を見つめるときの態度であって、回想は過去(すでに起こった歴史)を見通すときに必要である、とするなら「期待と回想」ということばは両方とも、前向きな要素を含んでいることばであることを面白く感じました。
なにか良いことが起こることを待望する「期待」はいうまでもなく、過ぎ去ったことをあれこれ想起する「回想」もある種の甘やかさや優しさを含んだニュアンスを持ってるよね?
これは保苅実のいう「歴史は楽しくなくっちゃ」にも通じるものがあるような気がするんだけど、歴史を観るときには、それが過去に起こったことであれ、未来の予想であれ、美点や長所に着目するのが望ましい、ということなのかな。もっと言えば、未来に希望を持て、というメッセージかもしれない。
僕は鶴見俊介の思想にはまったく昏い人間だけど、いかにもこの頃の知識人という感じはする。
いまの代表的知識人(それが誰なのかはさっぱりわからないけど)がもし同じように歴史の見方について言及するとするなら、もっとネガティブなことばづかいになるんじゃないかな。
「歴史を考えるときには、「審判の次元」からだけでなく、「失望の予感の次元」からも見ることが大切だと思っている」
なんてね。
(梅棹忠夫が『人類の未来』を書き通せなかった理由は、資料を集めてどう考えてみても、「人類の未来」が絶望的に暗かったからだといいます。そういう意味では、『人類の未来』という未完の企画は、梅棹の「期待の次元」ではありえなかった。いまわれわれは梅棹が考えた「未来」を生きているわけですが、さて鶴見の甘やかさと梅棹の暗さと、どっちがどの程度有効性を保持し得ているか)
というわけで、世界史を見通すときにこういう鶴見俊介的ポジティヴィティがいまどの程度有効なのかは疑問もあると思うけど、少なくとも自分の個人的な過去と未来を見つめるときには、ある程度有効かもしれない。
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ここから世界史的な話ではなくなって、ぐっと卑近でより切実な、「みずき書林と図書出版みぎわ」の、あるいは「みずき書林と僕の身体」の話になります。
できることなら「期待の次元」で自分の未来を語っていきたいものですが、どうなることやら。
「岡田さんが、これまでどんなことを考えながら本を作ってきたのか、これまでどうやって生きてきたのか、そして、これからどうんなことをしようとしていたのかを、覗いてみたいのです」
「僕はこれまで、岡田さんの「期待の次元」の話を聞いてきました。まだまだ、聞いていない話がある。そういうものを、この往復書簡で引き出したい」
と先便で書いてくれています。
しかし、僕はいまのところ、「回想の次元」で過去を語ることにはあまり興味が持てそうにありません。
この往復書簡の性格上、みずき書林立ち上げの頃の話をすることは多くなると思う。でも回想・回顧というには、それはいまだに僕にとっては生々しく記憶に新しい。
この後の余命がどれだけ残っているかにかかわらず、まだまだそんな歳ではないし。困った病気になったというだけでは、なかなか老爺のように過去を回想して人生を総括するような気分にはならないものだね。
実際、いま僕は調子がいい。
これを書いている時点で、実はつい数日前にも堀くんに会っている。だからよくわかると思うんだけど、今の僕はかなり体調も上向いていて、元気です。
日中は点滴も外していて、少量であればものも食べられる。
もちろん自分で歩けるし、喋るのも不自由ない。
痛みも苦しみも今のところまったくありません。
ただし、いつ体調が崩れるかは予断を許しません。
もしかしたら何カ月も何年もこの調子で生きていけるかもしれないし、明日、具合が悪くなるかもしれない。それは誰にもわからない。
また、毎日看護師さんに来てもらっている要看護生活者であること、食事が少しだけしかできないこと、基本的には身体から管が出ている点滴生活であることから、生活のスタイルもずいぶん変わりました。
そのことが不意にもたらす悲しみ、ということについて少し書いてみようか。
たとえば昨日の夕方頃、僕は妻とタクシーに乗って家路についていました。丸の内で展覧会を見て、少し疲れたので、車に乗って帰っていたのです。
タクシーは六本木から有栖川公園の脇に入ります。
有栖川公園の隣に、よく使っていたスーパーマーケットが見えてきました。外国人の生活者も多いエリアなので、品揃えも普通のスーパーとは一味違って、面白い食材が手に入る。夕方頃なので、買い物客がちらほら見えます。
車窓からその光景を見た瞬間、懐かしさとともに悲しみがおそってきました。
僕は最近、もう料理をしていません。
自分で食べられる量が激減しているし、キッチンでこまごまと働く体力も覚束ない。長い入院生活を経て、料理は生活のなかから抜け落ちた習慣になってしまっています。
もちろん妻に食べてもらうために、料理くらい自分の意志でやったってかまわないんだけど、自分が食べられないとなると、どうしてもやる気が出ないのはしかたありません。
それは大好きだったけど、いまは失われてしまった習慣です。
それにともない、スーパーで買い物をすることもなくなりました。
だからその夕方の買い物の光景を見て、僕はとても切なくなりました。
ごく一瞬、小沢健二風に言うと、切なくて切なくて胸が痛むほどでした。
かつてできていたことができなくなっていく。
かつては普通だったことが普通のことではなくなったことに気づく。
病気になるとは、そういうことに耐えていくことなのだと思います。
頭ではわかっていても、実際に生活のなかで、その「失われた物事」に気づくと、悲しくも切ないものです。
ひるがえって、2018年の春から夏にかけて、40歳になりたてで独立したばかりの僕は、ある種の万能感を感じていたと思います。
冷静になってみれば万能感どころの話ではなくて、お金はないし将来の見通しはないし、上手くいくかもわからなかったけれど、冷静になってなんかいられなかった。出版業界に関わるようになって16年も経って、いまさら、すべてが真新しくて楽しかった。危険で、かつ面白かった。
そう、あの頃の僕のマントラは、ある人に教わった保苅実のことばだった。再び保苅実曰く、
「自由で危険な広がりのなかで、一心不乱に遊びぬく術を、僕は学び知りたいと思っている」
いま、あのころの僕と同じ、独立したての自由で危険な環境にいるであろう君に、いまの正直な感想を訊いてみたい。
毎日わくわくしているのか。それとも不安のほうが強いのか。
自由で危険な拡がりのなかで、一体何を感じているのか。
同時に、僕もいま、病気という未知の領域に踏み込んで1年数カ月になる。考えてみれば、「自由で」の部分はともかく、「危険な広がり」のなかにいるのは間違いない。
保苅実がそうしたように、この環境でだって一心不乱に遊び学ぶことは可能であることを、僕もまた考えてみないといけないと思います。
以上、今回のBGMはStingの『If on a Winter's Night...』。
Stingのカタログの中ではあまり言及されることのない地味なアルバムかもしれないけど、寒い冬には聞きたくなる。
ときに暖かな暖炉を囲んでいるかのように親密な、ときに教会の広大な空間を想起させるように荘厳な演奏、讃美歌のようなコーラス、伸びやかなスティングの声と、美しい好盤。
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