夏になると戦争の話題が増えます。
8月6日
8月9日
8月15日
という記憶に残るべき日にちが続くから、当然といえば当然ではあります。
でも、もし多少なりとも関心があれば、8月ではなくても、というか年中通して受け止めるべきことなのだろうと思います。
夏になると風物詩的に大きな話題になることは、悪いことではありません。そういうきっかけがあることは、少なくともなにもないよりはいいことなのは間違いありません。
しかし、「夏だけ話題にしていればいいや」という話ではないことも明らかです。
(8.6、8.9、8.15がすべて敗戦にまつわる日にちであることも、ちょっと考えてみる余地があります。
たとえば8月15日という日がなぜ・どのようにして戦後日本の重要な日となっていったかについては、
川島真・貴志俊彦編『資料で読む世界の8月15日』(山川出版社、2008年)
佐藤卓己『増補 八月十五日の神話―終戦記念日のメディア学』(筑摩書房、2014年)
といった好著があります)
この話は、あの戦争の終わりがいつだったかについては比較的コンセンサスが取れているのに対して、開戦時の複雑さ(どの国とのどの時点を〈開始〉とみなすか)に深く関連しますし、そこからさらにあの戦争をどう呼称するか、のような問題にもつながります。
そもそも、なぜ戦争の終わりについてはコンセンサスが取れたのか、ということも簡単な話ではありませんし、上記の本の問題意識もその点にあります。
ここではそういう問題にはあまり深入りしたくはありませんし、その能力もありません。
ただ、記念日のようなものがあの戦争を想起させるよすがになるのであれば、夏だけではなく、ほかの季節にもたしかに記憶すべき日があることは、頭に入れておいてもいいと思います。
いうまでもないことですが、8月6日、9日や15日を相対化して軽視しようということではありません。
そこに至るまでにも重要な日付はあって、そういう日を知っておいてもいいな、ということです。
そういう日にも、歴史について考えてみる意識を持ちたいな、ということです。
たとえば、日本(と近隣諸国)の人びとにとって大きな動きが起こった日をとらえるだけでも、
7月7日(1937年、盧溝橋事件=日中戦争勃発)
12月8日(1941年、真珠湾攻撃=日米戦争勃発)
4月18日(1942年、ドーリットル空襲=本土への初空襲)
6月5日(1942年、ミッドウェー海戦)
3月10日(1945年、東京大空襲)
3月26日(1945年、沖縄戦開始)
などがあります。
日中戦争の前後状況というのはかなりややこしいので、盧溝橋事件の日だけをとりあげるのに疑問があるのもわかります。
真珠湾攻撃は、実は米英との初戦ではないということもあります。
日本の各地はそれぞれに空襲被害を受けているので、ドーリットルや東京空襲を特別視しすぎてもいけません。
ミッドウェー海戦は大きな転機ではありますが、日本のかつての勢力圏ではそのほかにも多くの戦いがあったことも、当然知っておくべきです。
沖縄だけが本土唯一の地上戦ではない、という議論ももちろんあります。
とはいえ、このように8月以外にも歴史について考えてみる日はたくさんあっていいと思います。
たとえば曽祖父の経験を聞いているから、あるいは映画や本を見たから、学校で勉強したから、その場所に行ったことがあるからなど、それぞれの関心において大事に思う日が違ってもいいわけです。
何らかの事情によって、たとえば自分にとっては4月25日が戦争や歴史について考える日であっていいわけです。
8月だけでなく、一年を通してそういうことを意識していたいので、そういうきっかけをいくつか持っておきたいと思います。
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