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執筆者の写真みずき書林

冨五郎忌


本日4月25日は、ぼくのなかで冨五郎忌です。

本当の忌日は明日26日ですが、彼が残した日記の最期の記述は25日。

実際に亡くなった日もさることながら、その日記に最期のことばを綴った日を覚えておきたくて、ぼくにとっては今日が冨五郎忌です。


タリナイ公式ツイッターで、大川さんが冨五郎日記を75年前のその日に則ってずっと呟いていました。

映画『タリナイ』が公開される前から2年近く続いていたそのツイートも、今日終わりました。

そういえば、いまこれを書くまでまったく意識していませんでしたが、つい最近までワニが話題でしたね。

でもぼくにとっては、ワニよりも、「45年4月26日に死ぬ冨五郎さん」が関心事でした。


このツイートをずっと続けていた大川さんとは『マーシャル、父の戦場』を一緒に作りました。その本には、冨五郎さんの日記全文の翻刻が載っています。

彼女は冨五郎さんの親族でも縁者でもありません。

年齢も80歳以上離れていて、とうぜん面識もありません。

そのような人が冨五郎さんとその日記と出会うことで、映画を作り、本を作り、2年にわたってその日記の記述を呟き続けたことに、あらためて敬意を表します。


その本が刊行されて、まもなく2年になります。

映画を観て、僕はこの本を出したいと思いました。その思いは、日記の最後のページに書かれた文字を見てさらに強まりました。

インタビューのために、冨五郎さんの息子である勉さんに会いに亘理にも行きました。僕にとってははじめて勉さんと会う機会で、そのおつきあいはいまでも続いています。

冨五郎さんが最後に食べたいと願った「かどや」の天丼も食べました。

見本ができた日は、本郷三丁目の駅前の喫茶店で、本の受け渡しをしました。

映画の公開が決まった喜ばしい日、僕は大川さんと一緒に日記を読んだメンバーと会っていました。

本の増刷が決まったときには、勉さんも交えて、関係者みんなでお祝いをしました。

この本が世間にあり続ける期間とそこから始まった関係が、冨五郎さんが日記を綴った期間よりも長くなることが、なにがしかの供養になっているような気がしています。


ぼくはたぶん、これから先も4月25日を迎えるたびに、冨五郎さんのことを思うでしょう。

そしてこの日記をめぐって一緒に歴史実践した人たちを思い出し、

「ミンナドウシタカナー」と思うでしょう。



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