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執筆者の写真みずき書林

「これは自分(だけ)のものだ」と思える経験――『アート・ライフ・社会学』小倉康嗣先生の論考


小学校3年生か4年生くらいの頃に、広島の原爆資料館にはじめて行った。


当時はまだ例の被爆者のろう人形のジオラマがあって、その晩、僕と姉は部屋の電気をつけたまま眠ったのを憶えている。

その日の日記に――おそらく夏休みの宿題だったのではないかと思う――広島に行って原爆資料館を見て、怖くて電気をつけたまま寝ました。という文章を書いたのを明確に憶えている。



原爆資料館に行ったことがきっかけだったかは憶えていないが、同じころ、僕は寝る前に、「おそらく、きっと、たぶん、戦争は起こらない」と心の中で10回唱えることにしていた。

その習慣が何カ月続いたのか何年続いたのかは憶えていないが、かなり長い間、僕は寝る前にそういう呪文を唱えていた。「おそらく、きっと、たぶん」という一連のことばは、いまでもその通りに憶えている。僕がそれを怠ったら、明日にも戦争が始まるような気がしていた。



トラウマ、というほどのことではない。

でもそのときの怖かったことや、子ども心に感じていた不安は、今でも何となく思い出せる。どっちかというと呑気な子どもだったので、明日学校に行くのが憂鬱だとか、腹が立つことやイヤなことがあって眠れなかったとか、そういう記憶はほとんどない。

ただこの時の、戦争が恐ろしいという感じだけは、例外的に憶えている。



小倉康嗣「高校生が描く原爆の絵とエンパワーの連鎖――トラウマ的な感情の継承をめぐって」(岡原正幸編著『アート・ライフ・社会学――エンパワーするアートベース・リサーチ』晃洋書房、2020年所収)

を読んで、子どもの頃のことを思い出した。



ここで小倉先生は、5歳のとき原爆資料館で見た写真を見て、その夜から灯りを消して眠れなくなり、以来その感情を40年間持ち続けることになった原体験について書いている。

僕のささいな記憶とは違い、40年間続けばこれはもうトラウマと呼ばねばならない。

そしてそのトラウマは、高校生が体験者とともに絵を描くという活動を追いかけているうちに解消されていくことになる。

このテキストは、被爆という圧倒的な他者の体験に晒された高校生が、画を描くことを通してそれを深く抱き留めていく過程を描く。それは同時に、被爆体験者のお年寄りが、語りえない体験を子どもたちにつないでいくプロセスでもある。

そしてさらに、その体験者と高校生の相互作用の中に、著者自身が、研究者・論文執筆者という立場を超えるほどに深くコミットしていく様も描いている。



ちょっと話が雑に広がりすぎることは承知の上で書くが、結局のところ、「これは自分(だけ)のものだ」と思える経験を持っている人の人生は尊い。

それは才能や能力のかたちをとることもあるだろうが、戦争体験や幼少期のトラウマのかたちをしているかもしれない。だから、そういう体験があることが必ずしも直接的に幸福に結びつくわけではないかもしれない。(たとえ才能のかたちをとる場合でも、それが幸せに直結するとは限らない。ex.ゴッホ、啄木、etc.)

けれども、「これは自分(だけ)のものだ」という体験のまわりに思考や行動を結晶させていける人生を持てる人は、きちんと生きている人といえるかもしれない。

このテキストに登場する被爆体験者の方たちは、言うまでもなく「これは自分(だけ)のものだ」という圧倒的な経験を持っている。

高校生たちは、彼らと何度も対話し、ときに彼らのトラウマを引き受けて苦しみながら1年をかけて絵を描くという「自分(だけ)の」体験をしていく。

筆者の小倉先生も、「これは自分(だけ)のものだ」という苦しみを抱えながら、それを論文に落とし込んでいく。



そういう経験を持っているとは、どういう人生なのだろうか。

いうまでもなく、この文脈では被爆であるように、事故や事件の当事者になるといった否応のない体験は、圧倒的だろう。でもそれは、できれば体験すべきではないことだ。

そしてこれもいうまでもなく、「自分(だけ)の経験」は、その体験自体がほんとうにワンアンドオンリーのものである必要はない。誰もかれもが、たとえば国連でスピーチしたり、画才を発揮したり、映画や本を作ったり、他人が目をみはって話を聞きたがるような営みをするわけではない。そういう人もたくさんいるだろうけど、全校生徒で広間に集まって体験者の話を聞いても、あるいは全員で博物館をぞろぞろ眺めても、その体験が強烈に自分に刺されば、それはその人にとって「自分(だけ)のもの」になる。

そういうものに巡り合った人生は、往々にして苦しく、でも充実しているように見える。



このテキストのなかで描かれた高校生たちの絵を見て、証言者たちの話を読むと、ごく自然に、被爆者の方たちはこれまでどんな人生を歩んできたのだろうと考えることになる。

他人の人生に茫漠と思いを馳せることは、こういう文章を読み、こういう作品に触れることの最大の効能のひとつだ。

そして同時に、この画を描いた高校生たちはこれからどんな暮らしを営んでいくのだろうとも思う。

1年間をかけて――ときに体験者のトラウマ記憶を二次的に引き受けながら――被爆者と二人三脚で絵を描く体験は、ある場合にはその後の人生行路を決定づけるほどのものだろうと思う。

何も全員が画家になるわけではなくとも、その経験は忘れられない強い記憶になるだろう。


つまりこの高校生たちは、これから先ずっと、幾つになっても、何の照れもなく素直に「戦争は嫌です」と言えるようになるのではないだろうか。

「体験していないくせに、いったい何を知っているというんだ?」という誰かの冷笑に対しても、臆することなく、反論することができるのではないだろうか。たとえことばではうまく反論できなくても、自分が描いた画と、自分に語ってくれた体験者の記憶があれば、そういう薄笑いに抵抗することができるのではないだろうか。



「体験者がいなくなっていくいま、戦争体験をどのように継承していくのか」

という問題には、さまざまな位相があり、それなりに複雑な立場性や指向性がある。

その多様さや複雑さを表現するために、学問や表現があり、ここで取り上げたような、あるいはこの後触れるような本がある。

それはあればあるほどいい。なんぼあってもいい。

その根底に「これは自分(だけ)のものだ」という体験があるならば、それがどんなにささやかな体験であったとしても、誰にだってそれを考えて、口にすることができる。

ここで描かれた、体験者と表現者(高校生)と報告者(著者)のタイトな関係は、そんなことを考えさせてくれる。



あらためて、僕のささやかな体験を書いておく。

子どもの頃、原爆資料館に行って、明かりをつけないと眠れなかったことがある。

「おそらく、きっと、たぶん、戦争は起こらない」と呪文を唱えないと眠れなかったことがある。

そして何よりも、僕はいま「これは自分(だけ)のものだ」という体験を持っている表現者をたくさん知っている。これが出版という報告者の圧倒的な強みだ。



小倉先生は、いま僕の版元で準備している、

『なぜ戦争体験を継承するのか――ポスト体験時代の歴史実践』

という本の編者のひとりでもあり、同書でもこの高校生の原爆の絵のことをより総括的な観点から書いてくださっている。

きわめて明快なタイトルをもった本になる。

『アート・ライフ・社会学』について書いたのをプロローグとして、そろそろこの本についてもちょくちょく書き連ねていこうと思う。




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