7/11「近代日本の日記文化と自己表象」オンライン研究会。
研究報告は愛知学院大学大学院の鈴木乙都さん。
「戦中戦後における農村出身兵士の時局認識―愛知県大口町「前田功日記」を事例
として」
その後に鬼頭篤史さん(京都大学)、金子元さん(秀明大学非常勤講師)が「戦時下日記の「並べ読み」の可能性」と題して、それぞれが読み解いている戦時中の日記について報告をされました。
鬼頭さんは銀行員、金子さんは医師の日記について。
それぞれの日記について、いくつか興味深い挿話がありました。
たとえば鈴木さんが俎上にした前田功日記には、清書する前のメモがあるとのこと。
そして戦中に生まれた子どもには八紘一宇から「紘一」と名付け、戦後生まれの子どもには「新生」と命名しています。
あるいは鬼頭さんが挙げた銀行員は、戦時中故に庭に家庭菜園を作っているのですが、「かぼちゃ戸籍」なる詳細な地図兼収穫日記をつけています。菜園を作ったり区画整理をしたりするのがもともと性に合っていたのでしょう、几帳面かつ微笑ましい図です。
金子さんの紹介した医師は、夫婦で交換日記のように書いている箇所もあるとのこと。
そんなふうに、3人はそれぞれの人生を生きました。
年齢、どこにいるか、どういう仕事をしているか、出征経験はあるか。
お互いを知ることもなく、それぞれ別々の人生を歩んだ3人ですが、同じ日に綴った日記を並べて読むと、ある種の感慨があります。
たとえば1945年8月15日。
彼らは同じ体験をして、それぞれに、比較的長い日記を書いています。
研究資料であり、プライベートな記録でもあるのでここで抜粋・引用などはしませんが、文字通り、群像劇を見ているようです。
放送のあと、前田功はメモをとったのでしょうか。その日の銀行員の庭には何が植わっていたのでしょうか。戦争が終ったと知って、医師は妻とどんな話をしたのでしょうか。
研究会に参加していながら情緒的な感想で恐縮ですが、彼らがそのようにして生きていたことが想像されます。
無名の書き手たちの日記を並べ読みすることで、彼らがかつてひとりひとりそこにいたことが感じられます。
翻って、自分自身が生きていることや、このように毎日何かを書くことも、相対化できるような気がしてきます。
研究会後はオンライン懇親会。
話は尽きず、11時過ぎまで。
美猫を眺めつつ。やっぱり会いたいですねえなどと話しつつ。
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