昨日4月26日の毎日新聞東京夕刊に、
『なぜ戦争体験を継承するのか』の記事が掲載されました。
オンラインでもこちらに記事が出ています(有料記事です)。
昨日は授業日でどたばたしていて、うっかり夕刊を買い忘れ、現物が手元にありません……。
そして以下はちょっと小さな声で書いておきますが……。
この記事には、
「時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある」。本書は作家・村上春樹さんの言葉を引用した序章から始まる。
と書かれています。
そのとおり、蘭先生の序章にはエピグラフとして、このことばが引かれています。
村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』(文藝春秋、2020年)の帯文からです。
蘭先生のお父様への思いを知っていた僕としては、原稿が出来上がってきて、春樹のことばが引かれているのを見た時、おお~と思ったものでした。
で今回、実際にどういう文脈で使われているのかあらためて確認しておこうと、ぺらぺらと流し読みしてみたら……本のなかのどこにも、この一節が見当たらないのです……。
もしかしたら僕が見落としているのかもしれませんが、この薄い本のどこにも、この文章は出てこないようなのです。
もちろん、『猫を棄てる』はちょうど1年前の発売からほとんど間を置かずに買って読んでいます(ぼくは村上春樹のかなり熱心な読者です)。
蘭先生の原稿が出来上がったのはその2カ月後くらいで、上述のように、僕は蘭先生と村上春樹に類似する父親との関係を思って心動かされたものの、迂闊にも原著に当り直して裏取りはしなかったのでした……。
だって、この一文、いかにも村上春樹的じゃありませんか?
もしかしてこの一節、本人のことばではなく、文春編集部が作ったコピーの可能性がある……?
もしくは(あまりありそうにないことですが)春樹の他のテキストからの引用ということもありうる……?
いまさら、ながら……。
村上春樹がはっきりとこの一文を書き残している証拠、モトム。
やれやれ。
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