ふと思い立って、ある程度きちんとしたかたちで映画の評を書いておきます。
このブログでは映画と本についていろいろ書いてきましたが、思えば本腰を入れて映画だけに特化して書いたことがなかったような気がするので、ちょっと試みてみます。
以下、いささか長くなり、文体が硬くなります(笑)。
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もし可能なら、この映画はできるだけ予備知識なしで観るのがいいかもしれない。
マーシャル諸島共和国という国がどういう国なのか。
かつて日本とその軍隊は、その地にどのように関わっていたのか。
兵士たちはそこで、どのような運命を辿ることになったのか。
そこに暮らす人々はどういうところに住み、何を食べ、どんな歌を歌っているのか。
いまの日本と、どういう関りがあるのか。
そんなことを一切知らないでこの映画を観ることができる人がいるとすれば、その人はある意味では幸福かもしれない。
その人は、途中までは何が何だかわからなくて混乱するかもしれない。
外国人のおばちゃんがウクレレを片手によくわからない歌を歌ったかと思えば、突如舞台は震災の爪痕の残る仙台に移動し、「タリナイ」という単純だが意味深に思えるタイトルが現れる。そして佐藤勉という老人が戦死した父親のことを語りはじめる。さらに舞台は浅草のそば屋から靖国の遺族会、元マーシャル大使の家へと目まぐるしく移っていく。
何も知らない観客は、この時点では作品の向かう先を予想できないかもしれない。
そしていくつもの南洋の島々を経て、老人はマーシャル諸島共和国へと到着する。
夜中に首都マジュロに着くと画面は暗転し、今度はマーシャル語で「tarinae」というタイトルが浮かび上がる。場面は翌朝の明るい市街地に切り替わる。白っぽい道に、鮮やかなブルーの制服を着たマーシャルの児童たちが溢れていて、佐藤勉がそこを歩いていく。このシーンに変わっても、「tarinae」というタイトルロゴはしばらく残っている。何も知らない観客は、あとでそのことばの意味を知って、マーシャルの子どもたちのなかを日本の老人が歩く画面にこのタイトルをかぶせた大川の意図に、あらためて思いを馳せるかもしれない。
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この映画は、戦争について、あるいはマーシャル諸島共和国について、観客が何も知らないことを前提に作られている。
もっといえば、監督である大川自身が、自分がなにも知らないことを受け入れようとする姿勢で作られている。
間違いなく大川は、自分の知識や思想を伝えようとしてこの作品を撮ったわけではない。むしろ知識や思想を自分自身がどれだけ知らないかを表現することに、それゆえにそれをどれだけ押し付けないようにするかということに腐心しているようにみえる。
観客が何も知らないように、自分もまた何も知らない。そのことを謙虚に受け入れたうえで、それでもなお映画を作ろうとした大川の意図はどこにあるのか。
彼女はそのことをしばしば〈もやもや感〉と表現した。この言葉は作中で言及されているわけではないが、ここではこの〈もやもや感〉という言葉を手がかりに、話を進める。いささか舌足らずな表現ではあるが、何度か映画を観るうちに、その言葉遣いで意味しようとしたことを考えてみたい気持ちになってくる。つまり、彼女の言う〈もやもや感〉を共有し、それを自分なりに言い換えながら考えてみようという気持ちになってくるのだ。
大川は多くの協力者とともに、マーシャルに行き、カメラを回し、膨大な撮影データを編集し、90分以上の作品に仕立て上げた。そういった長期にわたるモチベーションを維持させた〈もやもや感〉とはなにか。
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そこでまず、長い時間が経っても消えなかった〈もやもや感〉の端緒は何だったのか、ということを考えることになる。
これは比較的答えやすい問いである。端緒になったのは、映画の冒頭とラストを飾る「コイシイワ」という歌である。大川自身もいろいろなところで喋り、書いているように、マーシャル人の間でいまも愛唱されるこの日本語歌詞の歌が、彼女のもやもやを育てることになった。
コイシイワ アナタワ
イナイトワタシ サビシイワ
ハナレル トオイトコロ
ワタシノオモイ タタレテ
この歌のルーツを探ることが、そもそもの旅の始まりであった。
もともとは、この歌のルーツを探ることで一本の作品にしようと考えていたが、紆余曲折があって、ルーツ探しはいったん挫折した。それから佐藤勉との出会いがあり、映画はいまのかたちに結実した。作品中では佐藤勉の旅路が中心であることは間違いないが、基層に流れるのはマーシャルの曲であり、とりわけ「コイシイワ」である。
もやもやの最初の鍵は、この歌にある。いまなおマーシャル人が歌う日本語歌詞の歌。日本で流行歌だったわけではない、マーシャルのオリジナルソング。作曲者は、おそらく戦前の日本統治時代に日本語教育を受けたマーシャル人。歌のモデルになったのは、日本人の男性に恋をした若いマーシャル人女性。
つまり、遠い国で歌われる、日本人が知らない、日本語の歌である。
「コイシイワ」には、マーシャルに残る日本の痕跡が凝縮されている。しかし関係者の物故などで、それ以上のルーツをたどるという大川の当初の意図は、もはや手遅れとなってしまっている。
この〈手遅れになった歌〉を最初と最後に配して、カメラはマーシャルの土地に残る日本の痕跡を映し出していく。それは、島に残る大砲、がれきのような旧軍の施設、今でも使われている建物、雨水をためるための巨大な水槽、海岸に打ち捨てられた釘の塊、多量の砂をため込んだタンク、そして地中に埋まる電線といった、極めて具体的で膨大なコンクリートと金属の塊として描かれる。
マーシャル諸島の美しい風景のなかに、戦跡がほとんどそのまま残っていることに、私たちは衝撃を受ける。同時に、日本には戦争の痕跡がほとんど残っていないことに気づく。戦後に作られた博物館や記念碑、追悼のための施設はある。しかし、戦争当時の何かがそのままの姿で暮らしのなかにあるということに、私たちはまったく慣れていないことに気づかされる。産業奨励館など少数の例外をのぞけば、私たちは街のなかからそういった痕跡を取り除くことが、復興であり経済成長であると信じてきた。私たちはそういったものを片付けるべき瓦礫として、見つめ直す必要のない異物として、あまりにも手際よく徹底的に捨て去ってきてしまったのではないか。
作中、美しい青空を背景にして大砲が映し出された瞬間に、同行の女性の「めっちゃゾクッてする」という若い声が聞こえる。これは思わず漏れた声であり、そのときはそうとしか表現できない種類のことばであろう。そのとき、70年以上前からそこにある巨大な物体を前にして、言葉は追いつけない。この「ゾクッてする」感覚は、言葉にしにくいもどかしさという意味で、〈もやもや感〉につながるであろう。
その「ゾクッてする」感覚をどう自分のなかに据え置いたらいいのだろうか。
その観点では、最後に出てくる電線と造花のエピソードはとりわけ印象的である。かつて日本が敷設した電線が島中に張り巡らされていて、現地の人たちはそれを見つけて掘り起こしては、造花の芯にしている。ここでは、電線は鉱物資源であり、造花は彼らの収入源である。それは捨て置かれたガラクタではなく、むしろ生活の有用な糧である。もはやそれは戦跡ですらなく、現実に息づいている。
そのことをどう把握すればいいのか、私たちはますますわからなくなる。
そしてそんな痕跡の最たるものが、「コイシイワ」という歌であり、タリナイに代表される多くの日本語である。
歌やことばは目に見えるものではない。歌は暮らしを楽しく彩り、ことばは生活に必須のものである。良いも悪いもなく、それはマーシャル人にとってただ当たり前のこととしてそこにある。
しかしそれは、私たちにとっては当たり前のことではない。そこには、彼らにとって当たり前のことで、私たちにとって当たり前ではないことが、あまりにもたくさんある。それらが、私たちと彼らを歴史的につないでいる。あるいは、私たちと彼らを分断している。そのつながりと断絶の間を、カメラと佐藤勉は歩いていく。
そのことを、どう捉えたらいいのか。
作品中には、その答えは用意されていない。大川は、自分が答える立場にないことをわきまえ、ただ〈知らないこと〉〈当たり前ではないこと〉を観客の前に提出するだけである。誤解を恐れずにいえば、佐藤冨五郎と勉もまた、彼らと私たちをつなぐそのような〈当たり前ではないこと〉のひとつである。私の解釈では、彼らは旅を駆動させる主要因ではあるものの映画的な意味での主人公ではなく、歌やことばと同じく、その地に取り残された歴史の痕跡のひとつとして表されている。
大砲や建物といったモノ、歌やことばといったコト、冨五郎と勉といったヒトが渾然一体となって、彼らの〈当たり前〉と私たちの〈当たり前ではないこと〉の間のギャップが描かれる。
最後の「知らないの?」ということばは、そのギャップを簡潔に表現している。
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ここで、大川が表現したいと考えていた〈もやもや感〉に立ちもどろう。
もやもやの正体を探ろうとすることにどこまで意味があるかはわからないが、少なくともそのいささか曖昧なことばをパラフレーズしてみてもいいだろう。
たとえばそのもやもやを、〈解決困難な断絶を目の前にしたときの戸惑い〉と言い換えてみる。「知らないの?」と問われて「知っている」と答えられるなら、問題はない。そもそも、この映画を作る必要すらない。しかし目の前には、知っているといえない、簡単に解消できない断絶がある。ただし、まだ手遅れではないことも同時に直感されている。困難ではあるが、不可能ではない。彼らがそこで、そのようなモノ、コト、ヒトに囲まれて暮らしている限りは、そういった物事越しにわかりあうことは、不可能ではないはずだから。
もう手遅れであるなら、諦めて受け入れるしかない。しかし、彼らの〈当たり前〉と私たちの〈当たり前ではないこと〉越しにコミュニケーションすることは、まだ手遅れではない。
その困難ではあるが手遅れではないコミュニケーションの可能性が、〈もやもや感〉のひとつの側面であるかもしれない。
つまり、彼らの〈当たり前〉と私たちの〈当たり前ではないこと〉をひとつにするのではなく、まずはその差異をそのまま可視化してみることが、大川のスタートラインであったといえる。
いわば、この映画には入口はあるが、明確な出口はない。より正確にいえば、出口はひとつではなく、無数にある。この映画は、数々の戦跡、コイシイワに代表される歌、タリナイほかのマーシャル語/日本語、冨五郎と勉など、マーシャルと戦争の歴史への多くの入口を映し出すが、出口は示されない。観終わった後にどこから出て何を思うかは、受け手に委ねられている。だから(大川自身も含めた)私たちは、ありえるかもしれない自分にとっての出口を求めてもやもやする。
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複数の入口がありながら出口がないゆえに、あるいは出口が無数にあるゆえに、当然の帰結として、大川は意図的に結末をオープンエンドにしている。
結論は示されず、文字通り疑問形で終わる。「知らないの?」という問いが発せられた瞬間、本編は余韻も躊躇もなく、断絶そのものを表すように突然終わる。
結末を開放系にしたことは、歴史を扱うドキュメンタリーとしては、きわめてまっとうな姿勢であろう。
もしもそれに対して、「何が言いたいのかわからない」と感じたなら、その言葉にならないわからなさこそが作品の達成であり、私たちが受け取って考えてみるべきものであろう。
再び誤解を恐れずに極論すれば、何が言いたいのかわからない=結論がないというもどかしさこそが、〈もやもや感〉を共有し、この映画をまっとうに観たということですらあるのかもしれない。
良質なドキュメンタリーは、観た人の日常に接続されねばならない。夢見心地の2時間を過ごしたら、何の変化もなく映画を観る前の日常に戻っていける娯楽映画とは違うのだ。何らかの意味でいままで使っていなかった脳の一部を刺激され、観終わったあとにいつもの風景が少し違って見えるのが、優れたドキュメンタリーの効能である。
したがって、「知らないの?」と言われて心が戸惑ったなら、その感情を我が事として見つめ直してみてほしい。作品に込められたその〈もやもや感〉は、すでに受け手に接続されているのだから。
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マーシャル諸島共和国という、日本から遠く隔たった場所について、多くの日本人はほとんど何も知らない。関心も持っていない。
でも彼らは、私たちが残したものとともに、いまも暮らしている。
大川はそこに愛情を注いで、その地にいまの日本とつながるいくつもの入口を発見した。その多くは、まだほかの誰にもきちんと表現されていなかったものである。
この作品はそれを独占しない。発見したものに驚き、どきどきし、もっと深く知りたいというもどかしい思いを抱えながら、作品はそういった思いを観客と共有しようとしている。
見えない出口を受け手に委ねる開放系になっていることは、一緒にもやもやしながら考えましょうという作り手からのメッセージである。
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