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執筆者の写真みずき書林

アーサー王学会印象記


もはや学会というより学祭。

というのは言い過ぎだけど、ストーリーテリングにはじまり、鹿肉パイの試食が挿入されるというのは、世間一般で思われている学会イメージとはずいぶん異なるものではないでしょうか。

まあ、ガウェイン裁判をやる懐の深い学会ですから、ね。



14日、京都龍谷大学にて、アーサー王学会。

上記のような多少のギミックはあるものの、当然ながら本質的にアカデミックな会合です。


僕が思い知ったことは、

編集され校訂されたテキストは、それぞれに、もうまったく別物である

ということです。

この点については、主に翻訳にかかわって、学会の前に『いかアサ』編者の小宮先生と、若干のやりとりをしていました。

その際に僕は『徒然草』を例に出すなどして、〈古典の翻訳の際のテキスト及び版の選定、そして著作権の所在〉についてやりとりしていたのですが、いやー、徒然草とはぜんぜん違うケースだと考えたほうがよさそうです。

なぜそんなことになるのかはそれぞれの本によって複雑な事情が絡むのですが、テキストの内容が、ぜんぜん違います。写字の際に何行か抜け落ちた、みたいな異同レベルじゃない。ミスから意図的な改ざんまで、もうまるでテキストが違うのである。

髙宮先生がたびたび指摘されていたように、どのテキストのどの版に依拠するかは、学問的正確性という意味でも極めて重要であり、同時にアーサー王文献にとっては、中身そのものを激しく左右するものです。

「マロリーに依ったヨ」などということばが何の信ぴょう性もないことは、小宮先生の発表でも語られたことです。

引用はもちろんですが、翻訳・抄訳に際してすら、どのバージョンのものに依るかは、かなり重要な分岐点になりそうです。

この点、肝に銘じておきます。



もう一点、それに関連して面白かったのは、

作家・編集者・出版者たちのメタ的な言説(よくいえば交流、あけすけにいえばいいわけや非難・揶揄の応酬)

でした。

これはハルトマンとヴォルフラムの応酬を紹介した冒頭の松原文先生の発表から言及されていたことですが、髙宮先生・向井先生が紹介された研究者同士の交流のエピソードを経て、不破先生の圧巻の書誌探偵的な発表まで、今回の基調低音というべきもののように感じられました。


物語の中に、論文の中にすら、個人の思いや人間臭さがにじみ出る。

その肉声に触れたときに――まさに〈声が聴こえた〉ときに――われわれは研究とか学術といったものが、あるいは大学者や研究者たちが、世間で思われているほどスクエアなものではなく、実にチャーミングな存在なのだと知ります。



今回は『いかアサ』販売という仕事ももちろんあったのですが、くわえて遠藤雅司さんとの『アサめし』企画のプロモーションのためという面もありました。

われわれふたりは、衆人環視のなか、遠藤さんの焼いてくださった鹿肉パイにふたりで入刀をして失笑を買うという、アカデミックな会合にまるでふさわしくないデモンストレーションをしてしまったのでした。



『アサめし』企画は、年明けから本格化します。

今回は何が心強いと言って、国際アーサー王学会の諸先生方に学術的なアドバイスをいただけるということです。

昨日ひとくちでもパイを食べてしまった方々、いざというときはよろしくお願いいたします(笑)。

食卓の騎士

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