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執筆者の写真みずき書林

マーシャル、母の再会


マーシャル、父の戦場』の佐藤勉さん、先日までマーシャルに行っておられました。


あの戦争で親兄弟を異国で失った遺族の悲願のひとつは、遺骨収集です。

しかしそれは政治的な問題をはらみ、マーシャルに限らず、多くの場所で困難です。


勉さんは、逆に「お母さんの遺灰を持っていって、父のいるマーシャルに撒こう」と発想しました。

これはなんというべきか、すごい柔軟さだと思うのです。

ベースに、「父に何かしたい」「父と母を一緒にしたい」という気持ちが感じられます。

戦争について、政治について、日本について、言いたいことはたくさんあるはずなのです。でも少なくとも、マーシャルの父親のもとに母親の遺灰をもっていこうと考えたときに、怒りや苛立ちではないものが、発想の底にあったように感じられます。



かつて保苅実は、


「日常的実践において歴史とかかわりをもつ諸行為、それをここでは歴史実践(historical practice)と呼びたい。……ここで重要なのは、歴史実践は、歴史学者におよそ限定された活動である歴史研究や、学校の授業などよりもはるかに多様な、人々が歴史に触れる広範な諸行為をさす述語である、という点である」


と書きました。

今回の勉さんの旅には、さらに下の世代の親族も同行しました。

また、かつてのマーシャルへの旅を描いた映画『タリナイ』の現地上映会も行われました。

それらすべて、勉さんとその仲間たちの旅は、実に良質かつ余人をもって代えられない歴史実践だったと思うのです。



以下は読売新聞の記事。



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