前回、リアルタイムでメモやスケッチを作っておくことは大事なのでは……?
という話をしましたが、僕がとっているメモの実例として、たとえば以下のような感じ。
これだけでは何のことやらわからないと思いますが、次の企画のためのメモです。
何か動きがあるたびに、たとえばこれくらいのメモを残しておきたいな、と思っています。
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3月11日(月)
キム・ソヨン監督『空色の故郷』(2001年)。
ロシアの沿海州に暮らしていた朝鮮人たちが、スターリンの命令で中央アジアに強制移住させられる。
その過程と、その後のウズベキスタンでの暮らしを描いたドキュメンタリー。
中心に描かれるのは、画家のシン・スンナム。
代表作の『レクイエム』は強制移住とその後の苦難を描いた大作。横幅はおそらく20メートル近くあり、アジアのゲルニカとも呼ばれる。
シン画伯はウズベキスタン国籍で、彼の地ではニコライ・セルゲイビチと呼ばれる。
大学で教えながら、公開禁止の間もずっと画を描き続けた。
『レクイエム』は30歳で書き始め、老人になってようやく完成した。シン画伯は2006年没。
『タリナイ』と比べて観ざるをえない。
ほぼ同じ長さの作品。
ある老人との出会いが、若い監督に創作の動機を与えている。
戦争乃至はそれに前後する時代に揺さぶられた庶民を描いている。
知られていなかった事実に目を向けている。
知らなかったことに触れてしまった時の驚きは、いつまで・どこまで持続するものなのだろう。
長期にわたる構想・撮影・編集・公開への努力を満たすほどの驚き(とおそらくは知らないという無力感。対象に強いシンパシーを抱いた場合は、怒り)とはどういうものだろう。
どうしてこの人たちは、見知らぬ時代の、見知らぬ老人の体験にそこまで惹かれたのか。
これは、この企画の重要な視点になる。
ここでは、老人に導かれ、老人を導く過程が描かれている。
『空色の故郷』は導かれる要素が、『タリナイ』は導く側面がやや強いかもしれない。しかしともに、撮影と旅を通して老人の意思に導かれ、結果的に老人を導く構造になっている。
そしてその老人たちも、絵を描き、異国を旅する動機をさらに上の世代から得ていることにも注目したい。
シンは強制移住の苦難を辿った自分の親たちの世代を、勉さんは南洋で餓死した父親に、それぞれ導かれている。
彼らとて、彼らが強く惹かれている物事の当事者・体験者ではない。
歴史体験の継承には、受け手側の意志が必須なのでは。
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