昨日、島嶼社会を専門とされる石原俊先生が、先日僕が書いたブログに絡めて、『マーシャル、父の戦場』についてtweetとフェイスブックで触れてくださいました。
ご紹介くださり、ありがとうございます。
石原俊先生とは前職で本作りをご一緒しました。
そして編者の大川さんが『戦争社会学研究』というジャーナルに冨五郎日記を掲載できないかと石原先生に相談したのが、『マーシャル、父の戦場』誕生の直接のきっかけでした。
あれからまもなく2年になります。
この間に、石原先生は『硫黄島』を上梓され、大川さんも本を完成させ映画を公開させました。僕は僕で、出版社を作りました。『戦争社会学研究』は新しく作った出版社から刊行を続けています。
(余談ながら、石原先生と盟友関係にある出版社・共和国はインディペンデントな版元が仰ぎ見る存在ですが、共和国さんと小社はともに、ほとんどの本を宗利淳一さんというデザイナーと作っています。この点にも、かすかかつ一方的なご縁を感じます)
島嶼・海洋社会を研究する石原先生と、マーシャル諸島に気持ちの中心を置いている大川さんと。さる詩人が書いたように、まさに「人は孤島にあらず」というか、海の底ではいろんなかたちで繋がっていることを感じます。
同日。
田中祐介さんが、AASでの『タリナイ』の上映についてレポートをアップされました。
映画のみならず、本についても好意的に触れてくださり、ありがたい限りです。
田中さんとも前職からの付き合いで、彼が主宰する日記の研究会に参加させてもらったりしています(そしてたまに・多量に、酒を飲みます)。
上映の途中であがった温かみのある笑い声について触れておられます。
ここで言及されるふたつの場面は、たしかに映画のなかでもとりわけ印象的な場面であり、日本国内で上映された際には――涙を流している人は僕も何人か観ましたが――笑いはありませんでした。
その笑顔と声の意味は推測するしかありませんが、会場にはマーシャル人のしかも舞台であるウォッチェ島出身の人たちがいたとのことです。
これを自分たちに置きかえてみると、たとえば何のつながりもない(と思っていた)遠い国の人が、日本を舞台にした映画を作り、それを故郷を遠く離れた場所で見るようなものでしょうか。
たとえば僕が、インド人監督が撮った日本を舞台にしたドキュメンタリーをドイツで見るといったような。
そのときに――自分の故郷が暖かく描かれていることに安堵して、あるいは遠い国の人が自分の国に強い感情を抱いていることが嬉しくて――さらにいえば、自分にとってはありきたりな風景やことばのなかに大切な意味が込められうることに意表をつかれて――僕は自分でもよくわからない笑いを笑うのかもしれません。
いずれにせよ、
「どのような父と子の物語を、鑑賞者は見出したのか」
「再び鑑賞者を映画冒頭に連れ戻すようなセリフは、どのような意味を帯びた文言として今回の来場者には受けとめられたのか」(田中さんの記事より)
といったことを考えさせてくれる、そんな笑い声を聞くことができただけでも、海を越えた価値はあったと思えます。
僕は昨年まで6年間ほど、連続してAASに参加していました。
参加できなかった今年に限ってこんな楽しそうなイベントが開かれたのは悔しい限りですが、このレポートで詳細を知ることができて、ありがたく拝読しました。
(会期中も折に触れてメッセージをいただき、僕はそのおかげで会場の様子や、監督が携帯電話をなくしたことも知ることができたのでした(笑))
そして石原先生と田中さんはともに、明治学院大学の研究者です。
同じ機関に属するおふたりが、ぐうぜん同じ日に同じ対象について言及されました。
ここでもまた、海の底でつながっていました。
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