與那覇潤先生より新著『荒れ野の六十年―東アジア世界の歴史地政学』(勉誠出版)をご恵投いただきました。
ありがとうございます。
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本書は與那覇先生がこれまでに書かれた論文・書評をまとめたもので、
「私が歴史学者をしていたころに、拾い集めた瓦礫を積み上げた「東アジア史」のデッサン」
である(「まえがき」より)。
初出が一番古いのは2008年のもので、最新のものは2015年。
氏は2007年から2015年まで大学で教鞭をとっていたので、ほぼその時期に重なっているといえる。
なお、版元である勉誠出版は、僕がかつて在籍していた版元であり、「あとがき」にも記されているとおり、僕自身も本書の企画段階の際に多少関わっている。
16年間在籍していたから当然といえば当然だが、辞めてそろそろ2年が経とうとしている今でも、僕は書店などで勉誠の本を見れば、社名表示を見なくてもほぼそれとわかる。
奥付を見るまでもなく、装幀を見れば、あるいは手に取って紙質に触れ、ぺらぺらめくって目次や本文の体裁をちょっと眺めれば、この版元の本だけはわかるのである。
というわけで、本書は長期間にわたって深く関わった版元による、多少関わりをもった企画であり、以下はそういう関係性をめぐって、徹頭徹尾個人的な感慨を綴ったものになる。
本書の正式な評などは、完璧に僕の手に余るものだし、とはいえ何か書き留めておきたいと感じる本であるのも間違いない。
(以上、とくに與那覇先生、あるいはいま勉誠出版にいる知人たちの目に触れたときのために、先回りして言い訳を記しておく)
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與那覇先生は1979年生まれで、上記のとおり2007年から2015年にかけて、教壇に立っていた。
僕は78年に生まれて、2002年から2018年まで勉誠出版にいた。
2011年に『中国化する日本』が出て與那覇先生が本格的に論壇に現れたときの強いインパクトはいまでもよく覚えている。新聞の名前までは憶えていないが、紙面いっぱいに與那覇先生の横顔がフルカラーで載った記事をみたときに、この人はこのままスター研究者/メディア対応型アカデミシャンになっていくんだろうなと思ったものだ。
たとえば網野善彦や橋爪大三郎、福田和也や浅田彰や宮台真司や。そういった言論・メディアの寵児≒アカデミックフィールドのアイコンとなりそうな雰囲気を強く放っていた。
しかしその後、與那覇先生は病を得て大学を辞め、そのまま学界からも論壇からもメディア界からも姿を消した。
『知性は死なない』(2018)、『歴史がおわるまえに』(2019)、そして本書によって、執筆活動を再開されているが、学問界に戻る気配も意志も、みじんも感じられない。
若くして大病を患い、自らの世界が一度崩壊したこと(わずか30代半ばで重度のうつを発症して仕事を続けられなくなることは、誰にとっても、文字通り目の前・未来が真っ暗になるような体験だろう)は、この先この作家を語る際に避けて通れない転機となるだろう。
ちょうど本書でたびたび言及される網野善彦の「共産主義の闘争に参与して脱落した経験」が、「歴史研究にも大きな影を落としている」のと同じように、ある個人的な体験がその人の仕事に影響することはままあることだが(そしてそういうものを持っている作家の文章のほうが圧倒的に面白いのだが)、與那覇先生の場合は、この経験こそがそれであろうと想像される。
そして本書は、本人の転機〈以前〉の文章を集成して、〈以後〉の立場からの文章を添えるという意味では、『歴史がおわるまえに』と並んで、これからも増えるであろう著作群のなかで、特殊な位置を占めることになろうだろう。
この転機がさらに重要なのは、この個人的なポイントが、歴史学が転換を迎えていく期間と重なり合っていたことだろう。
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「すべては無駄であった」
本書はこの不穏な一文から始まる。
何が無駄だったのかというと、
「東アジアで共有できる歴史観を持つという、ポスト冷戦期に多くの学者たちが模索した理想は、敗れたのである」
ということだ。
政府公認の事業として02年の日韓歴史共同研究、06年からの日中歴史共同研究があり、〈東アジア〉を冠するプロジェクトは数えきれないものだったと、「まえがき」は続く。
(ああそして僕は『日中歴史共同研究』を日本で刊行する仕事をしたのだった。〈東アジア〉がおそろしく増えたことは、書名などで日々体感してきた。
余談ながら、そうであれば本書のサブタイトルはどういうことなのだろう。著者による自嘲気味の皮肉なのだろうか。それとも「歴史」「地政学」にあわせて「東アジア」といった〈売れそうな〉キーワードを散りばめておこうという版元による営業戦略なのか。
さらに余談を連ねれば、このメインタイトルが会議で通ったのもちょっと驚きだ。古巣は学術出版であるからして、詩情よりも直截な説明を重んじる社風であり、単に営業・販促だけを考えれば〈何も説明していない〉に等しい書名は採用されにくいからだ。懐かしさと微笑ましさとともに、「メインとサブを入れ替えよう」といった提案すらあったのではないかと空想している。無意味な深読みだが、背文字のレイアウトにそんな葛藤が垣間見えるような気がしなくもない)
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長い注釈で気が散ることだが、話を元に戻す(長い個人的な感慨は、この先も続く)。
歴史対話は可能であり、東アジア共通の歴史観は構築しうるという理想は、日米中韓のさまざまな政治的推移とともに敗れた。
大学の現場では、留学生の論文執筆や翻訳についてのいくつかの悲喜劇がそれを象徴した。
「私にとって、博士論文を書き上げてから歴史研究の現場を離れるまでの七年間は、結局のところなんだったのだろう?」
という自問は、何の逡巡もなく非情に答えられている。
「それは本質的に徒労であり、敗北であった」
こういうふうに始められる本書に、読者はどのように向き合えばいいのだろうか。
長くなってきたのでまたちょっと言い訳めいたことを挿入しておくが、このブログを書いている段階で僕に関心があるのは、〈東アジア史構築史〉でもなければ、〈近隣諸国との歴史対話の可能性〉でもない。誤解を恐れながら言ってしまえば、本書で論じられている内容ですらない。
関心があるのは、與那覇潤という作家個人についてだ。
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「それは本質的に徒労であり、敗北であった」の「それ」のなかに、本書に挙げられている膨大なテキスト群は含まれるのか。
だとすれば、「拾い集めた瓦礫を積み上げた」「廃墟の図面」を、どのように読んだらいいのだろうか。
僕がもっとも惹かれるのは、與那覇潤が表明している、〈現時点における歴史との向き合い方〉だ。
(もともと献本への御礼を綴る短い私信のつもりで書き始めたが、途中でブログ記事に方向転換して文体もあらためた。よって作家のことをどう呼んだらいいのか大混乱である。こういう書き方をしていると〈與那覇先生〉ではどうにもしっくりこない。が、われながら苦笑を誘う混乱なので、そのままにする。與那覇先生、ご寛恕ください(苦笑))
現時点での歴史(あるいは人生)に対する向き合い方が露出する部分に魅力を感じるゆえに、〈以後〉のテキストである「まえがき」「あとがき」が非常に面白い。
それは本書全体のなかでは極少の一部に過ぎないが、そこに示された姿勢にこそ、非常に関心がある。
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転機を経て、何が変わったのか、あるいは変わらなかったのか。
前述のように「瓦礫」「廃墟」といい、「徒労であり、敗北であった」と断じながらも、愛憎半ばする思いがときに漏れる。
「あるひとりの学者がつくった廃墟にようこそ。……また訪ねようかなと思ってくださる読者がいるなら、とても嬉しい」(まえがき)
「それでも私は、こうして築かれた廃墟が心から好きである。そんな場所に佇んでも現世で得られるものはなにもないが、いつか訪れる人がいるなら思い残すことはない」(あとがき)
こういう箇所には、捨てたはずの子犬がいつまでも鳴きながら後をついてこようとするのを、どうしても振り切れないで苦い微笑を浮かべているような雰囲気がある。
「あとがき」からもう一節。
「「歴史の間口は広くあっていい」というのは、研究者時代からの私の一貫した考えである」
という文章がある。
先に言いたいことを書いてしまえば、「私の一貫した考え」と書いている通り、ここが転機を経ても変わっていない部分であろう。そして同時に、一番変わった部分でもあるような気がするのだ。
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本書の最末尾に配されている「ノンフィクションに学ぶ、「中国化」した世界の生き抜き方」に次のような一節がある。
(と、ここで例によって個人的なことを長々と付け足すわけだが、初出誌『アジア遊学』は勉誠の看板誌である。150号は記念にブックガイドにしようというのは、社員から出た企画だったと思う。本書の編集担当をした吉田との間でそんな話になり、社員で分担して作業した。吉田と僕は大学も同窓で同期入社で、僕が辞めるまで16年一緒に働いた。良好な関係を維持する秘訣は「一緒に本を作らない」ことだった。彼と僕はいわば背中合わせになっているような関係で、向いている方向も仕事の手つきも全然違った。だから、たまに背中ごしに声をかけ合うだけでやってこられた。一緒に同じ本を作ったのは、後にも先にもアジア遊学150号だけだと記憶している)
さて、「ノンフィクションに学ぶ、「中国化」した世界の生き抜き方」より引用する。
「その苛烈な実践のありさまは、アカデミックな歴史叙述の世界から別物視されがちだったノンフィクション、とりわけ周縁的な世界を生きた個人に焦点を当てた作品の系譜こそが、よく捉えてきたのではないか」
この文章は、大学所属の研究者をしていた期間のちょうど真ん中くらいに位置する2012年に書かれている。
これは前述の「歴史の間口は広くあっていい」ということばとも符合するだろう。
與那覇潤は、ずっとこのような姿勢で歴史を追い求めてきた。
それはアカデミズムの世界から離れた今も変わっていない、どころか、より前進しているように感じられる。
〈東アジアで共有される歴史〉が変質・瓦解しようとも、作家の依るところは不変かつ展開を続ける。
変わっていないと感じると同時に、変わったとも思えるのは、「間口を広く」「別物視されがちな」「周縁的な世界を生きた個人」に注目しつづける、まさにこの部分である。
「間口」云々の文章と合わせて、いま書かれた文章では以下が対応している。
「学問にこだわらず自分にとってほんとうに大事な本を、以前に接した地点に戻りながら繰りかえし読むことが多くなった」(まえがき)
「人々が生きるものとしての歴史は、学問的な相貌をしているとはかぎらないし、その表情を写しとる手法は多様にあるのであって、うちひとつが欠けたところでさほど困らないからである」(あとがき)
(後者の引用については、「のであって、うちひとつが欠けたところで……」があることで、いわば、與那覇潤の歴史(学)へのツンの部分というべきか、捨て犬への愛憎半ばする目線のうち憎のほうが垣間見られて、いっそう興味深い)
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ともあれここでは、不穏で荒涼とした筆致の中にも、狭義の歴史(学)を超えて、それでも人間の知性や人の一生といったものへの、鋭く尽きせぬ関心はしっかりと維持されていることが表明されている。
この先、作家はこの部分をさらに拡げ、推し進めていくことになるのかもしれない。
このふたつの引用は、僕にとって本書でもっとも印象的な次の文章の前後に配されているものである。
最後に、やはり対にして引用する。
「それでも人生はつづく」(まえがき)
「結局のところ、人生は歴史(学)よりも、はるかに豊穣なのだから」(あとがき)
この本でもっとも印象的な文章がこれらだといえば、センチメンタルすぎると笑われるかもしれない。
しかしまあ、僕はしょせん厳密な思考を不得手とする、感覚的な人間である。ゆえに、おそろしく理知的で論理的な思考を身上とする與那覇潤の文章に、こういう一節があったことが嬉しくてしかたがないのだ。
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書きながら、途中で気づいた。
冒頭で「徹頭徹尾個人的な感慨を綴ったものになる」と予告したときには気づかなかったことだが、與那覇潤ほど深刻なものではないが、僕にも〈転機〉はあった。
僕にとっては、2年前にひとりで独立したのは、間違いなく個人的な転機だった。
同じ出版業を興したわけだから、以前と変わらない部分もある。
でも当然、変わった部分も大きい。
そしてまた長くなるし別の話なので詳しくは書かないが、僕にとってもっとも変わった部分のひとつは、アカデミズムとのかかわり方だったと思う。
前職はアカデミズムに強く依拠した学術・専門出版社だった。尊敬に値する学者たちが、営々と築いてきた業績を本にすること。それは掛け値なしに貴いことだと、いまでも思っているし、僕もいまでも細々とながらそういう本を作っている。
でも、ひとりになったことで(ひとりになるということは、資金力が激減することと同時に、何もかも自分で決めていいことを意味する)、アカデミズムの成果をどう表現し、ほかのジャンルとどう結びつけるかということに関心が向くようになった。
本としてのアカデミズムの射程距離の短さと狭さに、疑問を感じていたということでもある。
アカデミズムももちろんそのひとつとしながら、いまは「人生は豊穣であること」を、もっと自由に(無縁に?)本として表現してみたいと夢想している。
(冒頭に書いたことと関連づけるとするなら、小社の本は手にした瞬間にそれとわかるようなものではないはずだ。これは要するに、まだ刊行点数が少なくブランドイメージやノウハウが確立できていないということであるが、今後もし点数が多くなったとしても、一見してそれとわかるような本は作りたくないと、いまは思っている。ひとりでやっていることだから、ややもすれば違う本が同じカラーを帯びるということはありえる。しかし老舗ならともかく、歴史も浅く人数も極少の小社としては、いまのところそれをブランドイメージの確立だと喜んでいる場合ではなく、表現の硬直化を疑うべきことと考えている)
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そんなことをぼんやり考えているときに本書をいただいた。
與那覇潤という作家が過去と向き合い、変化していく現場をみるようで、勝手に一方的にシンパシーを感じたこと。
しかもそれが、かつて在籍した版元からの刊行だったこと。
愛憎半ばする過去に落とし前をつけ(退職して2年が経とうとしていて、さすがに前職はアイデンティティの領域から記憶の領域へと移っている。それでもなお、勉誠が〈世界で2番目に愛着のある版元〉であることは変わらない)、それ以降の人生が豊穣だと再確認することができた一冊として、作家と版元に感謝したい。
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