毎日新聞の戦後75年特集。
竹内麻子さんの記事を読みました。
昼には、監督の知人であるかなこさん主宰の『タリナイ』オンライン上映会とトークイベントにも参加しました。
知っているつもりだったけど、こうしてあらためて記事を読んで、映画を観て、話に触れてみると、様々に心が揺れます。
一緒に本を作りましたし、その後の渋谷から始まってアメリカや済州、マーシャルまで至る映画公開のプロセスも見ていました。
アップリンク渋谷にも横浜シネマリンにも何度か足を運び、山本美香賞の授賞式にも行きました。
この1年ほどは次の本の企画でもご相談していました。
3年ほど、なんやかんやで交流があったことになります。
マーシャルに対する思いや、戦争に対する考え方など、折に触れてうかがっていたはずでした。
にもかかわらず、今回の竹内さんの記事とかなこさんのイベントでの話をうかがい――ざっくりした表現で恐縮ですが――あらためて「この人はすげえな」と思いました。
記事で書かれ、イベントで語られたことは、知識としては知っていることがほとんどでした。上記のように、この3年ばかり本の編集担当として関わっていたんですから、それはある意味当然のことです。その人の考えのエッセンスを知らないで、本を作ることはできません。本を作ったのに、その人の思いのコアを知らないとは言えません。
それでも、今日はあらためて感じ入ることや気づくことが多かったようです。
実際のところは、知っているつもりで何も知らなかったのではないかとすら思いました。
8月15日だったからでしょうか。
竹内記者の文章と構成が上手だったからでしょうか。
初対面かつ二度と会わない人も多いであろう一期一会のオンライン上映会と交流イベントで、監督だけが既知の人だったからでしょうか。
(正確には、監督以外に旧知の人がもうひとりいました。明治学院の田中さん。我々はもう何年も前に知り合い、数年のブランクを経てこの映画と本をきっかけに再会し、以来ずっと『タリナイ』応援団兼学術的・言語表現的飲酒仲間として「つるんで」います)
その田中さんも含めて、ここ最近はずっとリアルでは会えていないからでしょうか。
どうしてかはわかりませんが、今さらながら敬意を新たに感じました。
ここで、どの記事でもイベントでも語られていないことをひとつ紹介しておくと、こういうことを書くと大川さんは無視――という言い方が強すぎれば、スルーしようとする癖があります。
他の誰にもできないことですよ。と感心すると、だいたい困ったように俯いて何度か首を振って――何も言いません。
その思いは特別ですよ。とメールに書くと、そのことについては一切触れず、別の要件にだけ返信が来ます。
竹内さんの記事にこんな一節があります。
>励まし続けた友人は「隙(すき)があるから、みんな何かをやってあげたくなる。巻き込まれるし、巻き込んでくる台風の目みたいな人」と大川さんを言い表す。
これな。励まし続けた友人、その気持ちわかる。
「巻き込み力の強い台風の目みたいな人」は、僕の表現では「引きの強い人」ということになります。
実はこの「引きの強さ」は、原田さんに日記を託した冨五郎さんや、タクシーの運転手をしながら日記の解読者となる仁平先生や大川さんに出会っていった勉さんにも通じるものではないかと思います。
強い思いにまっすぐだから、必要な人や大切な人に出会うことができる。
結果的に、まわりの人たちと一緒に、あなたたちは何事かを達成することができる。
かなこさん主催の今日のトークイベントで、監督はこんなことを言っていました。
「こういう場をもらって、やっと(マーシャルに)行った意味が少しあったのかなと思えます」
あなたの自己評価はもっと高くて然るべきです。
でも今日のような親密な雰囲気のイベントや国内外の劇場での聴衆との出会いこそが、「マーシャルの話をもっとしたい」と願う監督の、映画を作った意味であったのかもしれません。
ただ知っていたい、対話をしたい、つながっていたい。
そういうことを思いながら過ごす一生は大したものだと思うのです。
と直接伝えても無視されるので(笑)、ここに書いておきます。
Comments