小松靖彦『戦争下の文学者たち――『萬葉集』と生きた歌人・詩人・小説家』(花鳥社、2021年)を読んでいます。
書籍の詳細は花鳥社さんのウェブサイトからどうぞ。
ひとまず、序章と終章、「あとがき」とともに、個人的に最も関心の高かった第1章「与謝野晶子――〈自由〉と〈愛国心〉」を読了。
与謝野晶子といえば、反戦の歌である「君死にたまふことなかれ」が非常に有名で、そのために晶子は反戦の歌人というイメージがあるかもしれません。
ただし出征した弟を詠んだ「君死にたまふことなかれ」は1904年、日露戦争の時代。
それから38年が経って、64歳になった晶子は、『大東亜戦争 愛国詩歌集』(目黒書店、1942年)に次のような歌を収めているといいます。
み軍(いくさ)の詔書の前に涙落つ世は酷寒に入る師走にて
強きかな天を恐れず地に恥ぢぬ戦をすなるますらたけをは
同時期には、以下のような歌も詠んでいるとのこと。
水軍の大尉となりてわが四郎み軍に往く猛く戦へ
子が乗れるみ軍船のおとなひを待つにもあらず武運あれかし
日露戦争のときには弟の生還を願った晶子は、日中戦争・太平洋戦争期には、四男の勇戦と武運を祈っています。
思えば憐れなことです。
そして1940年に脳出血で半身不随となっていた晶子は、42年5月に狭心症に尿毒症を併発し死去します。これらの歌を詠んですぐのことです。
ぜんぜん意識していなかったのですが、晶子は日中戦争・太平洋戦争の末路を知らずに亡くなっていたのですね。
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ところで、戦時中の文学者が戦争協力をして、戦後は口を拭って民主主義や反戦を主張した、という告発や非難の書籍は、山のようにあります。
そのような作家や芸術家は枚挙にいとまがなく、彼らを否定的にえがいた書籍も大量にあります。
後世のわれわれは、ほぼ結論ありきのその膨大な書籍群を前にして、ちょっととりとめのない、近寄りがたい気持ちを抱くことになります。
加えて――反戦・非戦の思いは当然としても――後出しじゃんけん的に一方的に断罪する論旨は、多くの場合、読んでいて気持ちがいいものではありません。
本書『戦争下の文学者たち』は、そのようなとりとめのなさや後味の悪さを、以下の2点の視座を設けることで、実にうまく乗り越えているように思えます。
1.まず茫漠としたとりとめのなさを、『萬葉集』という切り口を設定することで限定しています。
次に、
2.「私は非戦の立場から、彼らの文学的営為を批判的に捉えるというスタンスをとりたい。といって、彼らを性急に戦争加担者として告発することはしない」(P25)という姿勢を一貫して維持することで、欠席裁判的な後味の悪さも慎重に避けています。
この2点が、本書に凡百の類書とは違う切り口とスタンスを与えているようです。
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話を与謝野晶子に戻します。
晶子の章を読んで思ったことを端的に言うならば、「文学者といえども、特別な人間ではない」ということです。
つまり、歌が上手いとか、文章が上手いとかいうスキルはあるにせよ、彼らも彼女たちも、ほとんどの場合、別に思考の深度において特別に衆に優れているわけではない、ということです。
これは誹謗しているわけではまったくなく、歌人や小説家といった職業は、多くの人々の共感を得なければ成り立たない以上、感情・感覚的には「われわれの超越者」ではなく、「われわれの代表者」であらねばならないという意味です。
別の言い方をすれば、多くの人が共感する感情を多くの人よりも優れた方法で提示する、というのがその職業の本質なのではないかということです。
「日支親善」を唱え、国家主義よりも人道主義・人類主義に重きを置いていた晶子は中国の軍閥政府は当然として、田中義一内閣など日本の為政者をも厳しく非難します。
「近年の排日も……何れも彼国十億の良民は与つてゐない」(P58)
という観点は、僕にはごくまっとうに思えます。
僕も「たとえその国が嫌いでも、その国の人たちを嫌う理由にはならない」とずっと考えてきたからです。たとえば一党独裁の政体は好きではない、でもだからといってその国に暮らす人々を嫌う必要はない。それはまず妥当な考え方だと思っています。
しかし日中国民間の連帯を訴え、人道・人類主義を唱えて政府を批判していた晶子は、上海事変を機に変化していきます。
1932年、日本陸軍と国民革命軍の間で軍事衝突が起きた上海事変ではじめて、日本のマスコミは中国人を「敵兵」と読んだとのことです(P51)。
そして晶子も、そのような読売新聞の記事を読んで感動し、「紅顔の死」という詩を発表します。
中国の学生志願兵たちの死体を描いて、
彼等、やさしき母あらん、
その母如何に是を見ん。
支那の習ひに、美しき、
許婚さへあるならん。
と悲しむこの詩は、ある意味では「君死にたまふことなかれ」に通じるものがあるようにも見えます。
しかし小松さんは「学生たちを誰が直接殺したか、また彼らが誰を殺そうとしたかについては一切黙して語らない。この点でも、「紅顔の死」は「君死にたまふことなかれ」から大きく後退している」
と指摘します。
たしかに、本書では指摘されていませんが、「紅顔の死」第一連では「敵の死屍」ということばが繰り返されています。いかに悼もうとも、彼らは「敵」でした。
「たとえ国は非道であったとしても、そこに暮らす国民は違う」という人道主義の限界が露呈しているといっていい状況です。
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要するに、われわれは首尾一貫した主義や、ゆるがない強固な主張とともに生きているわけではないのです。
僕が本書を読んで感じているのは、そういうことです。
われわれは反戦の姿勢を当然のこととしています。
およそまっとうな考え方をする人で、自国が積極的に戦争を起こし、自分が戦場で他人を殺し、家族や友人が他人に殺害されることを肯定している人はいません。
いま、この国がいきなり真珠湾を爆撃したと発表したなら、全国民は激怒して政府を覆すためにできることを速やかに行うでしょう。
この国がやおら他国に侵略軍を送ったら、その国の国民とも一致団結して強く反対するでしょう。
しかし、歴史をちょっと紐解けばわかるとおり、ことはそれほど単純で直線的に、突然起こるわけではありません。
さまざまな要因が数年がかりで絡まり合い、大したことないと思っていた事件がトリガーとなって次の事件を誘発し、それを「事変」などと呼び名を変えて糊塗しているうちに、いつの間にか引き返せないポイントを超え、やがて巨大な惨事がやってくるのです。
たとえば、隣国のミサイル実験が失敗、公海に落ちるはずのミサイルが列島に着弾、自分の家族や友人が亡くなるといった事件が起こったとします。隣国は非を認め、公式に謝罪して一件は落着したとします。
でも家族や友人を失ったわれわれは、それを許して万事OKというふうに思えるでしょうか。
そうすべきなのはわかっています。
でもことはそう単純ではありえないでしょう。
上記はあくまで一例です。
ですが政治は、すごく個人的なレベルにまで影響を与えることがあるということです。とくに政治の破綻したかたちとしての戦争は。
本書の帯文に「当時何が可能だったか。可能でなかったのか」とあるとおり、そのときに、われわれは規範と感情の間で千々に思い乱れながら右往左往することになるのでしょう。
*
「近年の排日も……何れも彼国十億の良民は与つてゐない」
という晶子の視点には、強く惹かれるものがあります。
くり返しになりますが、その国の政体に批判的であるからといって、その国の人びとを嫌う理由にはなりません。
終章で小松さんは「国」を、
1.自然の土地(land)
2.そこに住む人々(nation)
3.歴史的・文化的な共同体(「国柄」identity)
4.統治機構(state)
のいずれも指す、と整理しています(P280)。(余談かもしれませんが、個人的には「1.自然の土地」は「故郷(homeland)」としてもよかったのではないかと思いますが)
そして、当時の人びとにとっては「歴史的・文化的な共同体」=「国体」と重なっていたと指摘します(国体が何なのかはいちいち書きません)。
そのうえで、晶子を含む本書でとりあげた6人の文学者に対して、
「もし彼らが、自分たちの護ろうとした歴史的・文化的な共同体を、その知性によって、「国体」と分かつことができていたらと思う」(P282)
と、おそらくは自戒も含めたことばづかいをしています。
「歴史的・文化的な共同体を「国体」と分かつ」とは本書の趣旨に従うと『萬葉集』を純国産・忠君愛国という観念から解き放つことでもあり、実に萬葉集学者らしい結語と言えます。
(『萬葉集』をそういう観念から解放することは、過去に行なわれるべきだった作業ではなく、まさに「いま」するべき課題として捉えられるべきでしょう。いうまでもなく、いま「国体」概念を信じている人はかなり特殊な人です。でもそれに変わる概念が台頭することは常にありえます)
そして上記引用のすぐ後に続く文章で「それは容易なことではなかった」と述べています。
それが容易なことではないことが、つい最近、やっと僕にも想像できるようになってきたようです。
人間はまったく首尾一貫していなければ、強くもありません。
状況によって考え方が変わるのは、当然のことです。
だからこそわれわれはこういう本を読んで、折に触れて自分の立ち位置を確認するのがよいのかもしれません。
*
最後に。
「あとがき」には、なぜ小松康彦さんが『萬葉集』と戦争の関係を考えることになったのか、その個人的な背景が述べられています。
大学での専攻を『萬葉集』に決めた小松さんに、父親が天皇への忠誠と戦意高揚の象徴であった大伴家持だけは研究しないようにと求めたこと。その父が敗戦後にミッドウェー海戦の映画を観て「海ゆかば」が流れるシーンで声を上げて泣いたこと。
研究を加速させた動機が、『萬葉集』「梅花の歌三十二首」の漢文で書かれた序を“典拠”とする「令和」への改元であったこと。
版元である僕にとっては、いつだってこういう箇所が魅力的です。ある意味では本文以上に。
とりあげる対象が魅力的であることは、研究書作りの前提です。
そのうえで、研究者その人の人肌が感じられるときに、その本はいっそう魅力的になります。
さらにいえば、本書の装丁にはメイサルーン・ファラジというイラクの美術家の戦争の罪過をえがいた作品が用いられています。
日中戦争・太平洋戦争期の日本の作家たちを研究した書籍の装丁としては、ある種の逸脱を孕んでいます。
同時に、「戦争は終わったのか――」(P285)という本書の最も重要でon goingな問題を示唆してもいます。
(個人的なことを書きますが、かつで僕も現代のジェノサイドを扱った論集の装丁に、ゴヤの「戦争の惨禍」シリーズを用いたことがあります)
このように逸脱と妥当性を調和させ、本文と不即不離の装丁を作る芸は、優れた編集者の存在を感じさせるもので、その点でも刺激になりました。
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