東京新聞の企画、小林エリカさんの掌編小説
「聖火」
が公開されています。
五輪を介して過去と現在がシームレスにつながっているような小説。
歴史感覚のあるサキ、とでもいいたくなるような読後感があります。
1936年、ベルリンオリンピックの前日に行なわれたIOC総会で、1940年の東京オリンピック開催が決まります。
しかしその〈TOKYO1940〉は、幻となって消えます。
日中戦争に絡んで国際情勢が紛糾していたこと、加えて五輪に物資や労働力を費やすことに軍部が反対したからです。
それから太平洋戦争と東京の焦土化と敗戦を経て、1964年の大会になるわけです。
つまり今回は、東京でオリンピックを行なおうという3回目の試みになります。
1度目は実現されず、2度目は(すったもんだの末に)開催され、成功体験として記録に刻まれることになりました。
3度目はどうなるのか。
まったくわかりません。
本日段階で、東京のコロナの死亡者数は2095人。
これは先の戦争での、都道府県別の空襲による民間人の死者数にあてはめてみると、15位にランキングされる数です。
(福井県では1929人が、茨城県では2214人が空襲で亡くなっていますので、その間となります。トップ3はどこか? もちろん、広島、東京、長崎です。ソースはこちら)
そんなものを比較してもしかたがないことはわかっています。
でも都市空襲レベルの人が死んでいることは実感できます。
意味のない比較ですが、それでも五輪を介して、戦争とコロナをシームレスに想像してみることはできます。小林エリカさんの短編のように。
この掌編がウェブにアップされたのは昨日7日。
「妙子はどうしても実感が持てなかったのだ。
たった今、ここではないどこかで戦いがおこなわれていて、死んでいる人がいる、などということに」
というリフレインが印象的な短編がオンラインに公開されると同時に、3回目の試みに直接関連して、ついに死者が出たということになります。
来週には、ぼくはぼくで、すったもんだの末になんとか実施できた2回目の試みにフォーカスした本を刊行します。
この本ばかりは、売れ行きはもちろん、自分のなかでどのような位置付けに落ち着くことになるのか、まったくわかりません。
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