田中祐介編『無数のひとりが紡ぐ歴史――日記文化から近現代日本を照射する』(文学通信、2022年)
を読んでいる。
450頁になる大著なので、通読するにはもう少し時間がかかる。
よってここでは、いくつかの論考を読んだうえでの目下の感想を記しておく。
編者の田中による「総論」と「あとがき」をまず読んだのは、こういった研究書を読むに際しては基本ともいえる入り方だろうが、同時に、田中をはじめとする執筆陣とは研究会で顔を合わせ、何人かとは親しく語り、酒杯を交わす間柄でもある。つまり、僕は彼ら研究者・実践者たちの顔を直接知っており、本書の元となった研究発表やシンポジウムも聞いている。
また本書で何度か言及される大川史織編『マーシャル、父の戦場』は小社刊の書籍でもある。
そういった私的な関心から「あとがき」などを読むのは、なかなか心楽しいものだった。「会の魅力でもあった懇親会をオンラインでも極力楽しめるよう、バーチャル空間を移動できる会議ツールをあれこれ試した」(P451)などとわざわざ書き込むのは、いかにもこの編者らしい。
同時に本のクロージングに際して、本当にたくさんのスペシャルサンクスルが献じられる文章からも、編者の人柄とリーダーシップのあり方が思いやられ、版元である文学通信の丁寧な編集とわかりやすいレイアウトとともに、「自分もがんばらないとな」と思わせてくれるものでもあった。
のっけからいきなり脱線したので、冒頭の総論に戻る。
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田中による総論「「日記文化」を掘り下げ、歴史を照射する」のなかで僕が興味深く感じ、またこのやたらに長いばかりの感想文にとって重要なのは、以下の箇所である。
「個人の日記は歴史記述を補い、掘り下げ、相対化する可能性を秘めた貴重な史料である。しかし(中略)日記は事実性と真実性が期待される媒体でありながら、実際には往々にして、他者の眼差しを意識した取捨選択と虚実からなる自己演出の記録でもある」(P32)
通常、日記にまるっきりの嘘を書くことはない。これは日記を書き、読むときの大前提であろう。
(もし全編がまったく事実ではない日記を書き続けている人物がいるなら、それはそれで非常に興味深いだろうが。しかしもし延々と綴られた虚構の日記があるなら、その日記は創作物とみなされ、その筆者は、アーティストと呼ばれるだろう(無名の一般人であるなら、アーティストの前に「アウトサイダー・」が冠されもするだろう))
日記に書かれたことは、その人の事実である。ただし、田中も述べるように、何を書き、何を書かないかという選択は常に行われる。
人は自分にとって重要なことを日記に記す。ある人にとってそれは起床時間であろうし、ある人にとっては食べたものであろうし、またある人にとっては読んだ本や友人と交わした会話でもあろう。それは日によって変わりもするだろう。
大事なことを書き、大事ではないことは書かない。その取捨選択にはおのずと自己演出が入ることになる。
そういう意味では、日記はドキュメンタリー映画の未編集のフィルムのようなものかもしれない。何をどう撮るかという現場判断はある。撮影現場での演出もありうる。しかし、撮りっぱなしで全体を貫くストーリーラインがないという意味ではありのままの事実に近い。
かといって、日記の書き手の多くは、それを最終的なかたちに編集し直す――日記をあとで推敲して書き直したり、ダイジェストを作ったり、それを元にまったく別の物語を作ったり――ということは通常はしない(この点については、西田昌之論文を論じるときに後述する)。
では、人は何を求めて日記を書くのか。
田中は「「その人はなぜ日記を綴ったのか」という問いに客観的に答えることは不可能である」(P37)と述べる。それが「本能的欲求に近い」とも。
私事ながら、僕はこのブログを日記代わりに書いていて、まもなく1000エントリーになる。通常業務としての本作りに加えて、ここに何かを書き続けることは、僕のライフワークになりつつある。
この冗長なテキストにも、ぼく自身が見られることを強く意識しながらブログを書いている事実が深くかかわることになる。たとえば、普段のブログの文体は「ですます調」で書くことが多いが、このテキストはやや堅苦しい「だである調」であり、そこに日常的に使用している「僕」という一人称が用いられている。あえて持って回った言いまわしを多用しているのは、おそらくは論文的な文体のパロディを意識している。ブログと日記の違い、というのも考えてみるべきことではあるが、いずれにせよ、毎日綴るブログは日記に似て、誰かに見られることを意識したうえでの自己演出がかなり施されている。
ともあれ、そういう立場から「本能的欲求」の中身とは何かを考えてみる。僕なりに不可能な問いに答えようとしてみる。
田中の言う通り、客観的に答えるのは不可能かもしれない。しかしあくまで僕の主観として答えるのはそれほど難しくはない。
本書執筆者のひとりである大川史織の表現を借りるなら――より正確には、重要なことの多くを口承で伝え、書き残すことに重きを置かないというマーシャル人たちのことばを借りるなら――つまり、
というのが、僕がこれを書き続ける切実な理由だ。
*
さて、本書でまず読んだのは、
第2章 家計簿と女性の近代(河内聡子)
第3章 昭和戦後期のサラリーマンの手帳文化(鬼頭篤史)
の2篇であった。
なぜ最初にこの2編を読んだかというと、女性性と家計簿×男性性と手帳、という取り合わせを面白く感じたからだ。
(実はそれ以外にも理由はある。しかし今ここではあえてそれを記さない。取捨選択と自己演出)
ともあれ、家計簿と手帳が、かつてそれぞれ女性と男性を象徴するアイテムであったことは確かだろう。それを続けて配置したことには意図があるに違いない。その関心から、まずはこのふたつを連続して読んでみた。
以下、家計簿と手帳が果たした役割として、「ジェンダー規範のインストール」を中心に書いてみたい。加えて、規範がもたらす逸脱への恐怖、つまり「ステータス維持の強迫観念」という点にも触れてみたい。
まずは第2章河内論文である。
僕は1978年の生まれだが、子どものころ、母が羽仁もと子の家計簿をずっと付けていたことを記憶している。本棚には、まさにP90に載っている「羽仁もと子案」と大書された家計簿が何冊も並んでいた。
そのような近代以降の生活風景について河内は、
「「男は仕事、女は家庭」という旧来的なジェンダー規範は維持しながらも、女性の存在は社会に参与できる立場へと再編された」(P99)
と整理する。
「女は家庭」という規範について、今の視点からは批判もあるだろうが、少なくともこのステップを踏むことが、女性の社会的・家庭的な地位の向上・確立に有効だったことは確かだろう。
家計簿は、家計の管理者という役割を女性にインストールすることに役立った。強調しておくべきは、そういう役割は羽仁もと子ら女性たちが積極的に努力して勝ち取った立場であったという点だ。
今であれば、女性の役割を家庭内に限定して規範化しようとする動きがあるとすれば、それは旧来型の無知な高齢男性によってなされようとすることが多く、女性たちはむしろそれを拒絶するだろう。河内も指摘するように、いまは家計簿はその社会的な役割を終え、それが規定していた規範は薄まっている。
僕が面白く感じるのは、このような歴史の蠢き方だ。河内は、家計簿を手に歴史のなかを匍匐前進していく女性たちの姿を描きだす。僕の母もそのような歴史のなかの女性たちのひとりだったのだと、今更ながらに気づく。
本書の目的でありサブタイトルでもある「日記文化から近現代日本を照射する」ことを試みるなら、女性たちが何を自らにインストールしようとしてきて、何をアンインストールしてきたかを、家計簿などの具体的なアイテムやアイデアから辿るのは、面白い試みかもしれない。
同時に河内の指摘で興味深いのは、
「近代において新たに設定された新中間層の家庭が、激動する社会状況の中でその階層を維持するための戦略の一手として家計簿は見なされたと言える。その背景には、一線を越えれば下流に転ずるという明確な没落の危機感があり……」(P96)
という箇所である。
この点を頭の隅に置きつつ、では、手帳によって、男性は何をインストールされたのか。
第3章で鬼頭は、
1.情報整理という実用的な手段
2.知的な雰囲気を醸すための演出・装飾
と大別する。
このふたつはともに、「サラリーマンとしての成功を実現化するためには不可欠なもの」(P130)とされてきた。
要するに、60年代末から80年代の男性は社会・会社において「デキる感・キテる感」を醸さなければ出世はおぼつかず、実務面・装飾面の双方において、手帳というアイテムは有効だったということになろうか。
手帳をはじめとして、スーツやアタッシェケース、万年筆やネクタイ。そのようなアイテムのクオリティがサラリーマン(この時代、男性社員とほぼ同義)の評価と直結する。そしてそうなってくると、実務面はあまり関係がなくなってくる。
これもまた、今の感覚からすると、かなり萎える規範化ではある。
しかしまあ、今の感覚で過去を断じるのは趣味ではない。家計簿をつけながら家庭をコントロールする女性と、手帳を使いこなしながら社会/会社で活躍する男性という構図は、この時代の日本の中間層のまさに規範であったということだ。
ここで、鬼頭の以下の文章にも注目したい。
「この文章(『男の文具図鑑』という「知的生活のススメ」的な本。岡田注)が目標とするのは「知的生産」の実行ではなく「豊かな書斎生活」の演出であり、重要なのは、他者から「知的」であるという評価や賛辞をどのようにすれば獲得できるかということである」(P126)
他者の視線や社内ヒエラルキーを意識せざるをえなくなった男たちは、「ステータス維持の強迫観念」に憑りつかれることになる。
これは第2章で河内が指摘した、女性たちの「下流に転ずるという明確な没落の危機感」と対照をなしているように思える。
家計簿と手帳によって、男性と女性はそれぞれの社会的立場・役割を洗練化してインストールすることに成功した。女性は家庭の主宰者という地位を得て、近代においてはそれを社会改良の担い手という公的な役割にまで拡張していった。男性は「仕事ができる」という、この時代においてはほとんど唯一の社会的存在意義をアピールする方法を得た。
その一方で、それは立場や役割を維持しなければならないという強迫観念も生むことになったのではないだろうか。
この強迫観念は、大宅壮一の「一億総中流」という危うい安定を経て、つい最近の流行語であり今でも残滓のように漂っている「勝ち組/負け組」という(心底くだらない)言い方にも残響しているだろう。
いまや(スマホの登場もあいまって)家計簿も手帳も、その役割を終えつつある。そして不幸なことに、「女性とは」「男性とは」という規範と、そこから逸脱することへの恐れだけが残っているように思える。
女性性と家計簿×男性性と手帳、という取り合わせによる研究は、アイテムを現代的に更新しながら、今後も続いていくだろう。
*
最後に余談として、この2篇を読了したときに思い浮かんだ、いささか奇妙で突拍子もないことを書く。
動物園の端っこには「ふれあい動物園」みたいなコーナーがある。うさぎとかフェレットとかハムスターといった小動物が放し飼いにされていて、自由に触ることができる一角だ。
日記や家計簿や手帳といったものから歴史を照射しようとする試みは、ふれあい動物園に喩えられるかもしれない。
ライオンや虎や象といった大型動物は、檻の中にいて、こちらから触れることはできない。我々はその威容を部分的に眺めることしかできない。これは政治史や外交史といった、教科書的な「大きな歴史」に似ている。
いっぽう、ふれあい動物園のうさぎやフェレットやハムスターは、自由に触れることができて、小型なので全身を矯めつ眇めつすることができる。それは無名のひとりひとりが残した史資料に喩えられないだろうか。
ふれあい動物園の広場に、無数の日記や家計簿や手帳やらが蠢いている様を想像してみてほしい。河内は家計簿を撫でている。鬼頭は手帳の耳元(どこが耳かわからないが)をもしゃもしゃしている。柿本真代は子どもの日記を抱き上げ、堤ひろゆきは小走りに逃げ回る兵士教育の日誌を追いかけ、徳山倫子は農村部女性の作文と戯れている。大川は戦場で書かれた日記をおんぶしている。田中の主宰する研究会と島利栄子の運営する「日記の館」は、その風通しのよさも相まって、まさにふれあい動物園的な場だ。
日記や手帳や家計簿、日誌や作文は、小型の獣のようだ。人懐っこく、手にしやすい。でも本当のところは何を考えているのかわからず、ときに鋭く噛みついてくる。
(つづく)
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