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執筆者の写真みずき書林

続・原田豊秋さんについて

更新日:2020年2月4日


『マーシャル、父の戦場』に関連して、

以前、原田豊秋さんについて書きました。

これまでの詳細はこちらをご覧ください。



マーシャルから冨五郎日記を持ち帰った原田さんと、ネットでヒットする農学者の原田さんが同一人物であるか否か。

上記のエントリーでは「このふたりの原田さんが同一人物であるかどうかが、目下の焦点となっています」と書きました。


それから2カ月が経ち、いささかの進展があったので続報を記しておきます。



結論から書くと、このふたりの原田さんは同姓同名の別人であると判断すべき事実がいくつか判明しました。


以下、例によって大川史織さんの調査に基づき、教えていただいた内容を備忘録として記しておきます。



万が一差し障りがあるといけないので名は秘しますが、この間に大川さんは、農林省の原田豊秋さんを直接知っていた方と連絡をとることができました。

その方は原田さんの同僚・後輩で、戦後ずっと親しくしていたとのことです。

その方に、書籍およびこれまでの調査経緯をお送りし、電話でやりとりをした結果、


1.農林省の原田さんは戦争に行っていないと思われる(少なくともその方は、原田さんの戦争体験を聞いたことはない)。


2.本に掲載している戦友の原田さんの筆跡とは違うと思う。



という証言が得られました。

2の筆跡については、農林省の原田さんはそうとう癖のある字を書かれる方だったようで、戦友の原田さんの手紙とは、筆跡が違うと思うとお考えのようでした。

1については、原田さん自身が口を閉ざしていた可能性はあります。

何らかの事情で、戦後に自らの戦場体験を語らなかった人たちは多くいますし、もしかしたら原田さんもそういうふうに生きてきたのかもしれません。



ところがさらにその直後、その同僚・後輩の方を介して、農林省の50周年記念誌(1984年発行)に寄稿した原田さんの文章を読むことができました。

原田さんは1906年生まれですから、78歳の時の文章ということになります。

全文を挙げることは控えますが、「三十有余年の研究所勤務を顧みて」と題されたその寄稿文のなかには、戦時中に日本本土にいて研究を続けていたと判断される文章がいくつか見られました。

文面には、戦場体験について口を閉ざしているという気負った印象は感じられませんでした。

たとえば、自宅への配給米から貯穀害虫の幼虫を発見し、外来綴蛾であることを突き止め、応用昆虫学会で発表したこと。

あるいは戦時中の思い出として、京大のある研究者の不活性物質(珪藻土)の防虫効果について議論し多くの防虫剤が開発されたが、大量の穀物には効果がなかったこと。

記述はあくまで淡々としていて、かつ具体的です。


佐藤冨五郎さんと戦友の原田さんがマーシャルで飢えていたころ、農林省の原田さんは、おそらく日本で研究をしていたと思われます。

おそらく、農林省の原田さんは、外地に出征はしていないと考えたほうがいいようです。



農林省の原田さんが探している方であれば、と願っていたのはたしかです。

どうやら違うらしい、ということになり、調査が振り出しに近いところまで戻ったのも認めなくてはならないでしょう。

しかし、大川さんはまだいくつかの方法を試みてみるおつもりです。

間違えた道から引きかえすことは、一見すると後退に見えたとしても、やはり確かに前進だと思うのです。


***


冨五郎さんの日記から、原田さんについての記述を抜粋しておきます。


 (原田)兵長戦友。暑イ日デ空爆激シ


 昨夜原田戦友木草等御馳走サル、ヨモヤマ話シ


 同年兵二名(原田桜井)共モ体悪ク休ンデ居ル


 僕ト原田同年デアツタ。


 原田兵長ネビレンニ来レリ


 原田兵長ニ会ツタ、


 原田様来る矢張リ親切デアツタ、手袋、沓下ヲ各一差上げた


勤務地が異なるなかで、ときおりふたりは出会っています。

ヨモヤマ話シをして、矢張リ親切な原田さん。我々もその面影を感じられる日が来ますよう。



【翌日付記】

とはいえ、農学者の原田さんと戦友の原田さんは別人であるという確証が得られたわけではありません。


寄稿文を検討すると、米が配給制になった時期はかなり早く(1939年4月に米穀配給統制法、41年3月に大都市部で穀類が配給通帳制に。42年2月に食糧管理法が制定され、配給通帳制が全国で施行)、また戦時中の研究活動は、言及されている京大教授の発表も1941年7月ということがわかっています。

となると、いずれも応召された1943年4月よりも先なので、その後に戦地に向った可能性は残ります。


当時を知る方の証言や原田さんの寄稿文から、「同一人物である可能性は低い」と判断していますが、完全に別人であるとは言い切れていない状況です。


以上、堤ひろゆきさんの御教示に従い、付記しておきます。


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